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​「隣人の描きかた」

〇作品名 「山海愛度図絵(さんかいめでたいずえ)松前おっとせい」 

〇作者 歌川国芳(1798~1861) 

〇大きさ 35.2cm×23.4cm 

〇素材 多色木版(錦絵)

〇制昨年 1852 

〇所蔵先 アイヌ民族博物館 他

 

 浮世絵師の歌川国芳による錦絵で、美人画とともに全国の名産を紹介するシリーズのうちの一枚。まずは美人が目に入る。その後で左上の見慣れない図像に目が移る。さほど詳細には描かれていないが、なにやら髪も髭も伸び放題の男が三人、船にのって弓矢や釣り竿?を構えているのは分かる。海面には動物のシッポのような何かが突きでている。櫛やかんざしと色が同じでアクセサリーと見間違えそうだが、よく見ると黄色い海獣も居る。

 右上の枠内には「チトお肭(とつ)をはやらしたい」とある。左上にアイヌがオットセイ(膃肭臍)を捕る様子が描かれている。これは「日本山海名産図絵」(1799年刊行)の中の「蝦夷人捕膃肭 (えぞびとおっとつをとる)」から引用した図(※1)だ。この本の本文には見張り役のオットセイを狐のシッポで脅して遠のかせ、残りの寝ているオットセイを弓で射るのだと書かれている(※2)。オットセイは蝦夷地の名産で、精力剤として珍重された。慶長15年(1610)年に松前慶広に徳川家康がオットセイ献上を命じた記録もある(※3)。   

 このシリーズには漁のあとでアイヌが鮭を運び入れている場面が美人とともに描かれたものもある。蝦夷地でアイヌを使役し漁業が盛んにおこなわれるようになったのは商品作物の生産が急増し鰊などを原料とする魚肥の需要が増したからだと言われる(※4)。歌川国芳はアイヌの存在をどれほど認識していただろうか。この絵を描くにあたっては「日本山海名産図絵」をほぼそのまま写している。蘭学者でもなく幕臣でもない江戸の町民は蝦夷地やアイヌについて知る機会は多くはなかっただろうと想像する。ただ歌舞伎の演目「天竺徳兵衛韓噺」(1804年初演)などに登場する「天竺徳兵衛」は、アイヌが木の繊維から織った衣服であるアットゥシや蝦夷錦を来て登場することもあった(※5)。

 美人と無関係な異国の風景として唐突にコラージュされたように見える左上のコマだが、実は魚肥などを通して間接的に本州と蝦夷地はつながっており意外と大きな影響を及ぼしているともいえる。浮世絵に描かれるくらいだからオットセイはよく知られた薬だったのだろう。そういう何かの産地として描かれた蝦夷地は、現代までつながる北海道へ向けられる目とも二重写しになるし、それをアイヌが象徴しているのも引き継がれてきたイメージかもしれない(※6)。

(※1)「第54回特別展 描かれた北海道 18・19世紀の絵画が伝えた北のイメージ」 北海道開拓記念館 2002年 p44 (※2) 同 同ページ (※3)五十嵐聡美「ミュージアム新書㉓ アイヌ絵巻探訪-歴史ドラマの謎を解く」 北海道立近代美術館 2003年 136p (※4)桑原真人 川上淳「北海道の歴史がわかる本」亜璃西社 2008年 89p (※5)註1 前掲書 29p  (※6)例えば、鎌田亨「ミュージアム新書㉙ 栗谷川健一-北海道をデザインした男」北海道立近代美術館 2012年 など。栗谷川は戦前 から北海道の観光ポスターのデザインで活躍。同書103~104pでは、ポスターにアイヌの図像を取り入れ制作したことについて反省を 述べている。

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