「隣人の描きかた」
〇作品名 「アイヌ風俗絵馬」
〇作者 不明
〇大きさ 80cm×127cm㎝
〇素材 紙本彩色
〇制作年 1775頃
〇所蔵先 市立函館博物館
年代の分かっているアイヌ絵では最も古いもののひとつ(※1)。画面左に描かれた大鎧を着た武者にアイヌらしき男性が三人拝むようにひれ伏している。武者とひれ伏すアイヌの間には貢物だろうか、皿に載った鯛と台に載った巻物がある。奥には無関係なようにアイヌの男女がたたずんでおり、男性は女性を、女性は武者の方を見ている。色は褪せてしまっているが、特にアイヌの衣服は丁寧に描かれ、想像から描いたのではなく実際の風俗に基づいているようだ。小玉貞良のアイヌ絵に比べると、写実的に見える。一方で武者はかなり形式にのっとって描かれた風である。
画中の武者が義経であることは胸に描かれた笹竜胆から推測される(※2)。だとすればいわゆる「義経北行伝説」との関係が想定できる。これは義経は平泉では死なず津軽海峡を渡り北海道に至ったというもので、その道中にまつわる様々な伝説が北海道の各地に残っている。義経がアイヌから秘伝の兵法書を盗む話は各地に残っており、巻物はよく登場するモチーフだといえる。またアイヌの女性と義経が恋に落ちる話もあり、多くはこの二つの話が一緒になった「首長の娘と懇ろになり、首長を出し抜いて巻物を盗む義経」(※3)のパターンのようだ。それらがベースになってモチーフが選ばれ描かれた可能性も指摘されている(※4)。鯛は疱瘡除けの縁起物でもあり、この絵は源為朝に疱瘡神がひれふす図像を借り、疱瘡除けのために奉納された絵馬とも推測されている(※5)。疱瘡は蝦夷(エミシ)や夷(エビス)の国から来るとも考えられていたという(※6)。実は疱瘡をアイヌにもたらしたのは和人であるのだが(※7)。
一見すると単に義経がアイヌを従えただけの「蝦夷征伐」の図に見えるが、そこには病気への恐れとそれを克服したいという思いも見て取れる。もちろんこの絵馬が、アイヌを日本に帰属させる手段としても利用された義経北行伝説の影響下にあることには変わりがないし、特定の病気を特定の民族に象徴させているのだとすれば、それは到底許されることではない。
疱瘡の撲滅宣言が出されて久しい今となっては当時の人の気持ちは想像もつかない。また、当時のアイヌに対して和人がどう思っていて、どういう関係があったのかをこの絵から読み取るのは難しい。ただ、当時の人々にとっても義経は伝説上の存在であって形式的にしか描きようがなかったかもしれないが、今も昔もアイヌは現実に存在するものだ。
(※1)春木晶子「義経蝦夷渡伝説図をめぐって」北海道開拓記念館研究紀要第43号 2015年 90p(※2)由来は諸説あるが笹竜胆は義経に限らず源氏ゆかりの紋だという。鎌倉市の市章も笹竜胆だ(鎌倉市 もっと知りたい!市章「ササリンドウ」https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kids/jh/sishou.html 2017年2月16日閲覧)。義経神社がある平取町の町章でも笹竜胆が使われている(平取町 びらとり町ガイド 【平取町の歴史・概要】 http://www.town.biratori.hokkaido.jp/guide/guide_history/ 2017年2月16日閲覧)。(※3)伊藤孝博「義経北行伝説の旅」無明者出版 2005年 102pより。伝説については108p、112p、125p、128pなどに記載。(※4)春木晶子「〈資料紹介〉市立函館博物館所蔵〈アイヌ風俗絵馬について〉」市立函館博物館研究紀要第25号 2015年 23p(※5)同 24p(※6)同 25p 註vii (※7)江上波夫ほか「シンポジウムアイヌと古代日本-北方文化を考える―」小学館 116p など