「隣人の描きかた」
〇作品名 「オムシャ之図」
〇作者 平澤屏山(1822~1876)
〇大きさ 107cm×173.5cm
〇素材 板に彩色
〇制作年 不明
〇所蔵先 函館市中央図書館
大きく紋が描かれた幕の前を4人のアイヌの長老らしき人物と一人の女性が横切っている。手をつなぎ、腰を低くかがめて歩いている様子が誇張して描かれているようにみえる。傷みがひどいが、細かい描き込みやカラフルな衣装は想像できる。長老たちはいずれも額にしわを寄せ、ギョロッとした目をもち髭を生やしている。幕に描かれたのは松前家の家紋である武田菱だ。黒く太くはっきり描かれ、威圧的だ。
オムシャとあるが、この絵はウイマムを描いているという指摘がある。オムシャ(ウムサ)とは、各請負場所でアイヌと和人が取り交わす儀礼であり、もとは交易の挨拶儀礼であったのがウイマムと同様支配的なものになった(※1)。一方ウイマムとは、松前藩主や江戸幕府の蝦夷地を支配する奉行に謁見し貢物をする儀礼のことだ(※2)。本来はアイヌが隣邦の首長と行う平等な儀礼だったものが、アイヌが貢物をし、領主も酒などを下賜し拝謁を受けることで主従関係を強化するものへ変容した。当初は館の中で領主の近くで拝謁していたが、のちに庭先に土下座させられるようになる。このことはアイヌ絵の変遷からも見て取れる(※3)。ちなみにウイマムと違いオムシャは商人が行うもので、町絵師でも見る機会があったとされる(※4)。
腰をかがめて手をつなぎ謁見に向かう様子はアイヌ絵にもよく描かれ、武士が先導している様子がともに描かれる場合もある(※5)漫画「ゴールデンカムイ」にも家に入る時の作法として描かれている(※6)。和人とアイヌの違いを強調する構図のようだ。
平澤屏山は今の岩手県花巻市旧大迫町生まれで、弘化年間(1844~1847)に弟とともに箱館(現在の函館市)に移住し絵馬屋を生業とした。場所請負人の福島屋こと杉浦嘉七と知り合い、日高・十勝地方のアイヌとともに生活した経験をもとに絵を描いたという(※7)。屏山の絵は外国人にも好評だったと言われ(※8)、幕末から明治初頭に買い求められたらしき絵が今は海外の博物館の所蔵になっているものも多い(※9)。人柄としては酒好きで子供好きだったという(※10)。屏山の残した作品は数も多く様々な題材を扱っているが、アイヌの描き方は形式化されており誇張されているように見える。特に眉や髭を濃く多く描き、目や顔の皴を強調して描いている。和人との違いは意識的に強調しているだろう。
この絵に描かれたアイヌの長老たちは蝦夷錦を着ず、陣羽織や和人と同じ着物、またはアイヌの伝統的な衣服を着ている。この変化は小玉貞良の時代から100年以上経ち、非対称な交易を通してアイヌの生活や文化に和人が深くかかわった現れとも見える。このように、交流した文化の影響を絵から見ることができるのは面白い。翻って、いま日本に生きている大多数の和人がほとんど和服を着ないことは、アイヌの服装の変化と関係づけて考えられるだろうか。
(※1)新明英仁『「アイヌ風俗画」の研究-近世北海道におけるアイヌと美術』中西出版 2011年 207p(※2)同 206p(※3)同 207p(※4)同 208p(※5)野田サトル「ヤングジャンプコミックス ゴールデンカムイ⑨」株式会社集英社 2016年 124p(※6)註1 前掲書 207p(※7)同 174p(※8)同 223p(※9)五十嵐聡美「ミュージアム新書㉓ アイヌ絵巻探訪-歴史ドラマの謎を解く」北海道立近代美術館 2003年 186p など(※10)註1 前掲書 224p