「隣人の描きかた」
〇作品名 「蝦夷人魚突の図」
〇作者 千島春里(藤鳳鳴・藤原與昌)(生没年不明)
〇大きさ 38.5cm×48cm
〇素材 絹本彩色
〇制作年 不明
〇所蔵先 函館市中央図書館
二人の男性を描き、右手の人物は魚を突いている。左手の人物は座って釣り竿を垂れている。背後には弓矢がある。狩りの最中に釣りをしているのだろうか?毛は細かく執拗に描かれている。右の人物の目は特に白目が目立ち、焦点が定まっておらず無表情だ。着物の着方やポーズはあまり自然ではない。波や岩は比較的丁寧に描かれているが、やはり不自然さが感じられる。
銛を用いた漁はアイヌの漁猟でも一般的なもので、アイヌ絵の作品例も多い。二股の銛は実際の漁で使われていたものと近い描写になっている(※1)。
絵師の千島春里については詳細は不明。いくつかの号を用いたといわれている。ただ、画風が違う作品もあり、同一人物ではない可能性もあり、若いころは春里、のち鳳鳴と号したともいう(※2)。十九世紀初期前後に松前を中心として72歳まで活躍したと推定される(※3)。他の作品を見るとおおむね人物描写はパターン化されている。
この絵に描かれた二人は鮮やかな青と黄の服を着ている。和人から手に入れた木綿衣かもしれない。ただ実際に魚を捕るような時にも着ていたかはわからない。
この絵に描かれた人物は耳輪をしている。気を付けて他のアイヌ絵を見てみると、多くの絵でも同様の耳輪を見つけることができる。またアイヌについて書いた文献でも耳輪について触れているのをよく見る。よほど和人との違いが奇異に映ったのだろう。アイヌ文化では耳飾り(ニンカリ)は耳たぶに穴をあけ、男女ともに着けるものだった(※4)。私がある講演で聞いた話によると、普段は穴に布を通しておき、行事などの際に耳飾りをつけたらしい(※5)。
江戸幕府から明治政府にいたるまで、和人は基本的にアイヌに対しては同化政策をとってきた。例えば開拓使によるアイヌ政策では、1871年の布達で勧農政策や日本語の習得を求めることと並んで、死者が出た家を燃やす風習や入れ墨、男子の耳輪を禁じている(※6、7)。これも先の講演での話だが、男子のみを禁じて女子に禁じなかったのは西洋では女性のみ耳飾りをするからだろう、とのことだった。さりげなく描かれた耳飾りからでもわかることがある。
(※1)新明英仁『「アイヌ風俗画」の研究-近世北海道におけるアイヌと美術』中西出版 2011年 211p~212p (※2)同 172p(※3)同 173p (※4)佐々木利和「アイヌ文化誌ノート」吉川弘文館 2001年 37p(※5)漫画「ゴールデンカムイ」の原画とともにアイヌの民具を展示する「ゴールデンカムイとアイヌ文化展」の札幌展(会場は道新プラザDO-BOX、会期は2016年10月4日~8日)のトークイベントで聞いた。講師は中川裕先生(千葉大学文学部人文学科教授、「ゴールデンカムイ」アイヌ語監修)。(※6)桑原真人 川上淳「北海道の歴史がわかる本」亜璃西社 2008年 199p(※7)浪川健治「日本史リブレット50 アイヌ民族の軌跡」山川出版社 2004年 87p