「隣人の描きかた」
〇作品名 「アイヌ盛装図」
〇作者 小玉貞良(1688?~?)
〇大きさ 93.5cm×38.5cm
〇素材 紙本彩色
〇制作年 不明
〇所蔵先 アイヌ民族博物館
木の下に老人と女性が立っている。これがもし翁と媼であれば能の「高砂」になるところだ。老人は右手で弓を、左手で長いひげを持ち、太刀を背負い笠をかぶっている。女性は黒い毛むくじゃらの動物をおんぶして手にはかごを持っている。首飾りは大きな金属の板だ。二人とも裸足である。目は丸くでギョロリとしている。どこか心ここにあらずといった感じだ。表情や動作から彼らの感情を読み取るのは難しい。よそよそしい立ち姿だ。シチュエーションもよくわからない。松のような木それ自体は比較的描きなれた筆さばきに見えるが、とってつけたようでもある。
左側の老人は宗谷アイヌの首長チョウケンを描いたと言われている(※1)チョウケンは新山質「蠢動変態」や新井白石の「蝦夷志」にも登場する(※2)。その髭は七間(13メートル)あったという(※3)。 服装はいわゆる蝦夷錦だが左前で描かれている。蝦夷錦(えぞにしき)とは、清朝がアムール川流域の北方民族である山丹人に与えた官服を、蝦夷地に住むアイヌが交易によって樺太などを経由して手に入れていたものの日本での呼称だ(※4)。本来の蝦夷錦は左前には着られない構造になっているので作為的にこうしたのだと分かる(※5)。最上徳内は『蝦夷草子後篇』(1800)で、蝦夷錦や青玉の借金のかたとして山丹人に連れ去られるアイヌを見た話を書いている。本来借金をしてまで手に入れる必要のないものを、松前藩によって入手させられていたのだといわれる(※6)。交易によって大陸と北方の諸民族、和人をつなぐ中心がアイヌだった。
弓は他のアイヌ絵にも多く描かれ、寺島良安による「和漢三才図絵」(1713)の蝦夷の図などを連想させる。女性がおんぶしているのは熊だ。熊送りの儀式を想起させる。
絵師の小玉貞良は北海道(蝦夷地)生まれで名の残る絵師としては最も古い。松前で生まれ、画技は近江商人との関係から関西で学んだと推測される(※7)。流派としては狩野派と貞良を結び付ける資料がある(※8)。現存する作品の過半数はアイヌ絵(※9)で、後世の模写も多く、アイヌ絵の形式をつくった元祖といえる(※10)。工房制度のもと注文に応えていたと思われる。小玉貞良の作であり、和人が抱くアイヌに対するイメージが多く盛り込まれている点からいって、この作品はアイヌ絵の代表的作品といっていい。
江戸時代の絵といわれてイメージするのは琳派や円山派の絵だろう。人物画なら役者絵や美人画か。そのいずれとも違う図像がここにはある。この絵から受ける違和感は、アイヌに対して和人が持つイメージを絵にすること自体が初めてに近い試みだったのも一因だろう。
この200年以上前の絵と今日の私たちがイメージするアイヌを比べたとき、それらはどれほど隔たっているのか。何が共通し、また何が違っているのだろうか。
(※1)五十嵐聡美「ミュージアム新書㉓ アイヌ絵巻探訪-歴史ドラマの謎を解く」 北海道立近代美術館 2003年 81p (※2)同 82~83p (※3)同 82p (※4)同 85p (※5)同 87p (※6)同 154p (※7)新明英仁『「アイヌ風俗画」の研究-近世北海道におけるアイヌと美術』中西出版 2011年 168p (※8)同 162p (※9)同 166p (※10)春木晶子「アイヌを描いた絵」(『北海道史辞典』p.185-190)北海道出版企画センター2016年 187p など